脳のCHAOSを考察する。

発達症併発(自閉スペクトラム・ADHD・LD)、共感覚を持つ私の見ているもの

人間ニツイテノ勉強タノシイヨ

 奇跡的に入学出来た高校を一年で退学になったような私が、今、大学院受験対策のためのWeb講義を聴いて学習しています。

 もちろん私は大学院受験は出来ないのですが、さりさんが受験するので、勉強しているのを横で見ているだけでは勿体ないから私もノートを取ってしっかり講義を聴くようになりました。

 

 ノートの取り方をさりさんに教わって、初めて読みやすく整理されたノートを書くことが出来るようになりました。ある程度は学校で教わったはずなのに、なぜ出来なかったのかわかりませんが。

 

 

 臨床心理学を勉強しています。とても興味深く、おもしろいです。

 社会心理学で集団の心理などを学ぶと、「自分はそのような時にそのように行動しないな」と思い、人との違いがどこにあるのかを知ることが出来ます。

 

 発達心理学を学ぶと、自分が発達のどのあたりでつまづいているのかを知ることが出来ます。

 

 他者(定型発達者)がどのように世界を見て、行動しているのかが少しわかるようになります。

 

 

 私は昔から、「科学的な事実」を知ることが好きです。曖昧なものが苦手な脳です。「人の心」なんていう曖昧なものは物凄く苦手ですが、心理学は科学なので、大好きです。

 

 精神科でいつも自分の状態がどんなものなのか、すごく知りたかったのに、どうせわからないからと思われたのだと思いますが曖昧な例え話みたいなのしか教えてもらえませんでした。

 

 脳の話を聞くとスッキリします。あー、脳のそこの部分が弱いのだな、と理解すると嬉しいです。

 

「障害は個性だから」なんて言葉は嫌いです。そんなことより、自分のことも定型発達の人のことも科学的に知って理解したいです。

 人は千差万別なのだから、科学的になんてわからないとかいうレベルの話は、私には高すぎて、まだまだ届かないのです。

 

 

 自分の脳のカオスについて考察するのに役立てるため、今後も一生懸命勉強を続けます。

 

瞬間湯沸かし器にはなれない。

 私は日常、ほとんどカッとなったりしません。何か出来事があったらそれを手動で情報処理をするため、怒りに繋がるまでに時間がかかってしまうからです。

 「これは腹が立つな」と思った時にはもう怒るタイミングとしては遅すぎる(相手がいなくなっている、話題が次に移っているなど)ので、大抵その怒りは表出することなく終わります。

 

 

 横断歩道で、私が歩いている時、見知らぬ自転車に乗った人が急に怒鳴りつけて来たことがありました。

 その時一緒に歩いていた私の姉が「はぁ?!」と叫び、その自転車の人を追いかけ、「なんでこっちが怒鳴られなあかんの?私たちただ横断歩道をルールに従って普通に歩いてただけなんですけど!!!」と抗議しました。

 

 その自転車の人(おじいさん)は、姉の剣幕に圧されつつもなんだかゴニョゴニョと文句を言っていました。姉は私に「あんたも何か言いーや!私たち悪くないのに悔しくないの?!」と言いましたが、私はその時事態を把握するために脳をフル回転させていたので何も喋ることが出来ずに黙っていました。

 

 

 脳の中で映像を巻き戻し何度も記憶の中の映像を見直して、私たちの死角からおじいさんが自転車で、横断歩道に向かって直角に勢いよく突っ込んできたことを確認しました。

 その後、おじいさんの音声を何度も巻き戻して意味を考えます。

「あb#*+>ろg!kぃつけろあぉが!!!」

    ↓

「危ないやろが!気ぃつけろ、アホが!!!」

、かな???

 あれ?私たちに気をつけようがあったかな?あの状況で、まさかあんな風に自転車が突っ込んでくるなんて、予想も出来なかった(本当に予想も出来ないことだったのか?と記憶の映像を再確認することをここで数回)。ということは、おじいさんが気をつけないといけなかったのではない???

 

 ははーん、姉が怒るのも無理ないな、と思い、私も怒られる筋合いのないことでアホと言われたことに少しムカッときました。

 

 私が「ムカッ」という感情を覚えた時には、おじいさんは自転車で遠くに走り去っていました。

 

 

 

 不快な音や感触によって瞬間的に「ぎゃぁぁぁ」と爆発することはありますが、「出来事」によって感情を起こすのは時間がかかります。

 嬉しいという感情はあまり考える必要のないシンプルな出来事からくることが多い(気がする)ので割と早いです。悲しみは、「こういうシチュエーションで過去にも悲しくなった」という例があればすごく早くその感情に到達することができます。

 怒りは、間違った怒りを相手に感じてはいけないと思うからか余計に手動処理の手間暇をかけて精査してしまいます。

 

 

 結果、穏やかな人に思われるのは良いのですが、ストレスのやり場を失うことが多いです。

 

 

 

 何度も使う「自動・手動」という言葉ですが、そのうち手動思考について詳しく書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

どこに行っても迷子。

 道を覚えるより、建物の内部の構造を覚えるのが苦手です。あ、もちろん道を覚えるのもすごく苦手です。

 

 これは本当にどうしようもなく、学校での教室移動が苦痛でしょうがなかったです。同じ中学校にずっと通っているというのに「美術室がどこかわからなくて迷子になって授業に間に合いませんでした」と3年生の時に先生に言い出すことは勇気がいりました。まぁまず信じてもらえません。

 

 普段は皆がゾロゾロと移動する時になんとなく紛れてついて行けばいいのですが、トイレに行きたくて遅れを取った時や先生に呼び止められたりしてクラスの皆の姿が見えなくなった時には、「もうだめだ」と目の前が真っ暗になっていました。

 

 

自分の家の中がどうなっているのか、部屋の配置がわからなくて迷子になる悪夢にうなされる

 

 まさかの本当の話です。子供の頃住んでいた家ボロボロで今にも崩れそうな日本家屋でしたが無駄に広く、いつまで経っても「どこからどう行ったらあの部屋に行けるのだろう?」と考えながら移動していました。

 離れの部屋や屋根裏の位置なんて、どこからどう辿り着いたのか今思い出してもよくわかりません。間取り図なんて絶対描けません。

 

 一旦家の外に出て庭から室内に通じる窓を見ると、そこがどこの部屋かわかりません。内部に見える家具などで「あ、ピアノのあるあのお部屋だ」とわかっても、「えっ、なんでここにピアノのお部屋が??」と訳が分からなくなりました。

 

 

 祖母の家は決して大きくなかったのですが、部屋と部屋の間のふすまを開けるとグルっと一周回れる行き止まりのない家でした。私は祖母の家に行くとずっとぐるぐると部屋、次の部屋、台所、また最初の部屋、次の部屋、とまわりながら毎回毎回奇妙に感じ、飽きることがありませんでした。

 一年に一度や二度行くというような遠方の祖母宅ではないのです。一週間に一度は必ずおつかいに行かされる、超近所にあった祖母の家です。でもずっとその構造を覚えることなく不思議だ不思議だとぐるぐる部屋をまわっていたのです。

 

 

 今、さりさんの家に来て一年になります。とても大きなおうちの中の一部屋だけで全てを済ませているので迷うことはありませんが、たくさん洋服を置いてある部屋に何か取りに行ったり、さりさんの元書斎に用事で行ったりすることがあると、

「あれ?なぜここにドアが??このドアは前はこんなところに無かったはず。」

と驚くことが何度もあります。

 

 

右・左がちゃんと感じられないのが原因かもしれない

 意識せずに左右が把握できればいいのかもしれないけど、方法がわかりません。

 

 

距離感が全く掴めないのも原因な気がする

 思ってもみないところにドアが出現したり壁にぶつかったりするのは、距離感を経験で積み上げられないからだと思います。

 「体の記憶力」なるものが非常に弱いのだと思います。

 

 

 

 

 これは本当に不便なので、なんとかしたいです。

 

 

 

 

罪と罰。

 小学校に入ってすぐのこと。私が休み時間に次の教科の教科書やノートを準備していて、その時に手からすっぽ抜けた下敷きが、近くで何人かの友達と遊んでいたM君の顔に直撃してしまいました。

 

 M君はとても怒っていました。「もう少しで下敷きの角が目に入るところやったやんか!」と言い、私の頭をグーで殴りました。私はとても悪い事をしてしまったと思い、「ごめんね」と謝りました。彼は、「一生許さない」と言いました。

 

 その日の昼休み、M君はうしろから突然私の背中を殴りました。学校帰りにも追いかけてきて「ランドセルそこに置け」と言って、また背中を殴りました。

 

 「痛い」と言うと、

「おまえの下敷きが俺の目に当たってたら、目が潰れるとこやってんぞ!?おまえが悪いのに何で痛いとか言うてんねん!」

とM君は怒って言いました。

 

 

 

 私は、自分の不注意でしてしまったことは、たとえ相手に実際には傷を負わせていなくても、謝るだけでは済まず相手の気の済むまで罰を受けるのが当たり前なのだな、とM君の言葉から理解しました。

 

 

 「毎日100回殴るからな!」とM君は宣言し、100回はいかないものの毎日背中が痛くて椅子の背もたれに背中をつけられないくらい私を殴りました。

 私は、殴られるたびに謝りました。

 

 

 一度何か失敗を犯すと大変なことになると学びました。今後、そのつもりはなくても誰か人を傷つけたり傷つけそうになったりすると、どんどん罰が増えていくのだと思って怖くなりました。

 私は、元々ガチャガチャ動くほうではないけれど、それまでよりもっとソロリソロリと動くようになりました。

 

 

 M君は幸い三学期に入る頃には私を殴ることに飽きてくれたので、ずっとは続きませんでしたが、当時私は自分の過ちのせいで一生殴られ続けるのだなぁと諦め受け入れていました。

 

 

 

 その後、M君ではない何人かの子に日常的に暴力を振るわれることがありましたが、私は毎回自分が何かして相手を傷つけたのだと解釈し、相手が飽きるまでジッと受け入れていました。

 

 

 私にはわからない「人間関係のルール」がとてもたくさんあるらしいことに気付いていたので、私以外の「ルールをわかっている子供」がすることは正しいはずだと思い、痛いとか文句を言うのは私のわがままなのだと信じていました。

 

 

 高学年になって金銭に関わるいじめに遭った時はどうしようもなくなって抗議しましたが、暴力を受けて自分が痛いというものに関しては、大きくなっても「何かの罰で、拒否する権利のないもの」と受け入れるのが普通になっていました。

 

 実際、暴力をふるう人は私が悪いということを必ず口にしました。私は、世の中理不尽だらけというか理不尽なことしかないと思っていたので、その「私が悪い」という理論が正しいかどうかよく考えることはありませんでした。

 どう考えても私のせいじゃなくない?と思うことがあっても、私はどうやら人とズレているらしいことが子供の頃からよくわかっていたので、「でも私が悪いのだろうな」と思い直して納得するようにしていました。

 

 

 

 聴覚過敏や触覚過敏、変化が苦手なことなどで日常的に「耐え難い不快」が多いため、何が「我慢すべき不快」で何が「我慢しなくていい不快」なのかわからないというのもとても大きな問題でした。

 

 

 発達障害を持つ子供がいじめに遭っている場合、いじめに遭っているのだとわからず受け入れている可能性があり、周囲が気付いて「それは受け入れるべきことではない」と教える必要があるかもしれません。

 

授業中の1分足らずで脳内に起きていること。

 私はのんびりした人だと思われがちです。いつも落ち着いていてマイペース、リラックスした人という印象を持つと言われることがよくありました。

 

 子供の頃から、はしゃいだりもせず癇癪も起こさず、多動は多動でもゆっくりと静かにずっと動いているという感じで、ソワソワがちゃがちゃした感じではなかったと思います。遠足の時など、私が列を離れてどこかに行っても誰も気づかないような、静かな(タチの悪い)問題児でした。

 

 私の頭の中は、表面的な私の静かさ・のんびりと落ち着いている雰囲気とは真逆で常に騒がしく、ガチャガチャと原始的作動音をたてて膨大な量の情報処理が行われています。

 

 

 授業中、先生がチョークで黒板に何かを書く。その時のカツカツという音、シュシュっという摩擦音も。粉が黒板に付着して一粒一粒のそれが線になり文字になる。

 

 近くの席の子がシャーペンをカチカチする音、教科書が閉じないように力を込めて開く音、カタン、シュッ。

 誰かと誰かのひそひそ話す声。普通の喋り方より気になる、歯と息が擦れる音とペタペタという舌の動く音。

 

 私の斜め前の席の子のうるさい色のペンケース、セサミストリート・・・黄色に赤に青。その隣の子の、黒板と自分のノートを見比べる頭の動きの忙しさ。

 窓の外で、校舎や木の影が濃くハッキリしたり薄くぼやけたりと目まぐるしく輪郭が移り変わるのが目に入ってくる。

 

 黒板消しを置くところの木のささくれは、視界に入るだけでその感触が伝わってきて背筋が寒くなる。なめらかな物が触りたいという欲求が沸き上がってきて、机の金属の脚を撫でる。木のささくれと違ってすべすべしているけれど、ところどころサビていて指が引っ掛かり、その感触が口の中に広がってザラザラする。

 

 

 先生の声は高くて大きくて、私には早口過ぎて文章として入ってこない。チョークの音がちょうど重なると先生の発する言葉の子音がかき消される。

 みんなの目が私を見ていることに気付いてからも、どこかからのひそひそ声や椅子を蹴る音にしばらく気を取られて、先生の私を見つめる目の意味に気が付かない。

 

 あ、私の名前が呼ばれたのかぁ。

事態を把握して先生に「えっ・・」と返すと

「またボーっとしてたでしょ!ちゃんと集中しなさい。」と注意される。

 

 

 

 ボーっとしていたりはしないのです。たくさんの音や視覚情報が次々ドーーっとやってきて、脳がそれらにいちいち反応して、その時に本当に必要な情報だけを選んで集中するということができないのです。

 

 そしてたくさん入ってくる、特に聴覚的刺激は非常に不快なことが多く、それらによって私の脳は過剰に敏感になり、しなくていいのに全ての音を処理し始めます。

 

 脳がいっぱいいっぱいまで活動すると、私の動きは止まったりスローモーションのようになります。表情はなくなり、言葉を発するのは難しくなります。

 

 

 

 そんな感じで、常に落ち着いた、静かでボーっとした人のようになっています。

 

 

 

 

 

 

よく考えると共有しているほうが凄すぎるのでは。

 「なんとなくでいいよ」「そのへん、テキトーに」が苦手です。

 

 本当にあなたのさじ加減に全て任せる、という意味ではないのがわかってきた幼少期から、恐怖さえ感じている言葉です。

 基準があるんでしょう、基準が。何かその、定型発達の人ならわかって当然の、「ここからここまでの間で」という許容幅が。私はもう知っているのだから。

 

 私がその許容範囲のサイズ感をわかっていなくて、「なんとなくでいいよ」と言った人の想定を超えることをしてしまうと、戸惑いの笑顔だったり「は?何やってんの?」という言葉だったり冷たい沈黙だったりを返されてしまいます。

 だからと言って、「なんとなくじゃなく、もっと具体的に教えて」と恥をしのんで言っても、教えてもらえたことがありません。

 

 

 

 自閉症スペクトラム障害の人は、曖昧が苦手だそうです。私もまさにそうです。

 でも、自分の中では曖昧なものも持っています。「こんな感じ」としか言いようのない感情も身体症状ももちろんあります。目分量で料理を作ります。

 

 ただ、人と「こんな感じ」と言った時の差が大きくて共有出来ないのだと思っています。

 

 それは、普段同じ場所に立って同じ体験をしても違うものを見て違う感じ方をしているから生じる差なのだと思います。

 

 その、見るもの、感じ方について、これから細かく考察していくつもりです。

 

 

 

 

 

おとな(34歳)の書く漢字。

いいかげんに覚えている漢字の一例↓↓

f:id:misa4:20170914040525j:plain

 こんなのが多いため、見本がないと正式書類は怖くて書けません。

自分も普通の人間だと見せかけたい透明人間。

 自分は何色かと訊かれたら、自閉症スペクトラム障害の人々は「透明」「半透明」と答える割合が多いらしいです。

 私もそうです。自分の色はなくて、その時に必要な色になって、本当の自分自身が何者なのかわかりません。

 

共感できないのに共感しているフリをして嘘ばかりの毎日

 

 女子の会話というのは、共感がとても大切で、共感だけで出来ていると言っても過言ではないと思います。それは、言葉を話し出してすぐ、幼児の時からすでに始まっている女性の特徴なのだと思います。

 

 「今日の給食のグリーンピース、いっぱい入ってて最悪だった!」

「あー、グリンピース苦手なんだぁ。給食で嫌いな物出たとき超やだよね。」

「つらいよねー。私ピーマン嫌いだからしょっちゅうだよ!何にでも入ってる!」

 

 他愛のない会話に入るのがとても苦手な私は大抵黙って聞いていましたが、ある日、うなづいて聞くと共感を示していることになるとわかり、そうすることにしていました。

 それでも足りなかったようで共感意見を求められ困った私は、嘘をつくことにしました。

「私もニンジンが嫌いだからわかるよ。」

 私は家であまり調理したてのご飯を食べることがなかったため、給食は何が出ても感動的に美味しく喜んで食べていたのですが、何か嫌いな食べ物を作らないと仲間に入ることが出来ないのだと思い、急遽、そういうことにしました。

 

 

 

自分も恋をしていることにしないといけないと思い、なんとなくそのへんの人を好きなことにしておく→告白を勧められ、おぜん立てをされ、面倒なことに

 

 小学校でも中学校でも、これが多くあったために私はいつのまにかフラれたり両想いになったり、知らないところで色々あったようです。傷ついたふりをしたり喜んだフリをしたり、というところまで出来るほどは器用でなかったので、周りがゴチャゴチャ言ってきてもポカンとしていました。

 

 

 

究極の共感、方言を研究し習得する

 

 私は関西人の両親を持ち生まれも育ちも関西人ですが、中学に入るまで標準語を話していました。これもASDの人にありがちらしいのですが、なぜか一番身近な両親から言葉を学んでいないようなのです。

 本を読んだり新聞を読んだりして語彙を学び、イントネーションなどはテレビから学んだのだと思います。

 私のリラックスして自然に話す時の言葉はとても堅く、文語のような感じです。英語の教科書の和訳のようだとも言われます。

 

 そんな話し方で皆の輪に入り、女子の自然な会話に共感を示して仲良さそうにするのは無理だと気が付いた私は、小学校中学年頃から水面下で関西弁を研究し始めました。

 

 不幸なことに、中学の時に同じ関西内とはいえ別の県に引っ越すことになったのですが、基本のイントネーションはあまり変わりがなかったので応用することが出来ました。

 私は熱心に研究しだすとすごく精密に細かいところまでやるので、自然な関西弁を話す人になることが出来ました(ネイティブに言わせると自然より少々きつめらしいですが)。

 

 

 習得してもなぜか本当には自分の物にならないのが困ったところで、今でも意識して関西弁スイッチに手動で切り替えないといけません。私の本当の自然な、堅い喋り方は今でも健在です。

 

 

 

何をやっても手動で、意識して身に着けたり、偽の「共感している証拠」を作り出したりしてきたため、もともとの本当の自分が存在しないように感じる

 自動的に身に着ける処世術とは違うのです。自動的に出来るようになるうわべだけの共感とは違うのです。人前で役割を演じるのはみんな一緒だと思いますが、それを全て手動で切り替えるので「嘘をついている」という感覚がすごく強いです。

 そして、脳が疲れます。一挙手一投足、一言一言いちいち作り物なので、脳は常にフル回転です。毎日疲労困憊です。

 

 

 

今、嘘をつかずに自然に生活できる環境になって、自分は透明でもいいやと思えるようになり、憑き物が落ちたように楽になった

 

 何かハッキリした色に見せなくてもいい、と思える今はとても楽です。このままの状態で社会に出ると不適合者ですが。

 みさは生まれたばっかりみたい、とさりさんに言われます。これが、透明な自分の正体なのだと思います。たくさん身に着けてきたようで、それらはあまりに自分に合わない服で無理矢理着ていたため、少しも自分の物にならなかったのです。

 

 

 

 

 言葉の習得や、文語のような話し方についてはまた詳しく書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自由」に隠された言葉は何文字?

 

 皆と同じ場所で同じ人からの説明を聞いても、得る情報量が全く違うことに気が付いたのは小学校に入る前でした。幼稚園のときにはすでに、何故か皆私が先生から聞いた話以上の情報を共有していておかしいと思っていました。

 

 現在のように、声に出さなくてもLINEやらメールで私以外の人達がこっそり情報をやり取り出来るのならまだしも、そういうツールがないのにどうやって認識を共有しているのかが不思議でたまらなくて、不安でした。

 

 

 

 小学校の図工の時間に、「運動会」をテーマに絵を描くように言われました。先生の説明は、「先日の運動会で印象に残ったことを絵にしてみましょう。」の一言だけです。

 皆、何か競技をしているところを描きました。一人の男の子がお弁当を食べているところを描いて、「食いしん坊」と笑われるというベタなことが起きました。

 私は、画面いっぱいに自分の靴のつま先を描きました。かけっこの順番をドキドキしながら待っていてずっと俯いて見ていた光景でした。

 

 私は、描き直すように言われました。「運動会の絵って言ったでしょ」と言われました。私は「かけっこの順番待ちのとき、、、」と説明しようとしましたが、オドオドしてうまく言えなかったかもしれません。

 

 なぜみんなが、揃いも揃って玉入れや綱引き、かけっこ(走っている瞬間)の絵を描けたのか、なぜそれを先生が求めているのだとわかったのかが不思議でした。(それと、競技ではなくお弁当の時の絵を描いた子は良くて私がダメな理由は???)

 

 

 

 私は一生懸命先生の話を聞いているつもりだけれど、どこかで聞くのをサボってしまっているのだと思い、反省をしました。

 

 でもやっぱり、どんなに聞き逃さないように聞いてもみんなの共有している情報を私だけ受け取っていませんでした。

 

 

 持ち物や行事予定の書いたプリントでも、私が紙面から読み取る以上のことをみんな「常識」として共有していました。

 

 「暗黙の了解」です。

 言葉には、実際に見えたり聞こえたりするもの以上に奥行きがあり、たくさんの意味を持っています。当たり前のことなのでしょうが、それに気が付くのにずいぶん時間がかかりました。

 

 

 

 「運動会の練習日は、お茶をいつもより多めに用意しましょう」は、

 「運動会の練習日(運動会が終わるまでの体育がある日、全て)は、(水筒に入れた)お茶をいつもより多めに(何リットルかは指示しないけれど自分が飲むだろうと思う分だけ)用意しましょう(そうお家で親に頼んでね)。 (用意するだけではなく、学校に持ってくるのですよ。)」

という意味だと誰もがわかるので、誰も何も質問しないのですね。

 

 ↑は極端な例かもしれませんが、このようなことが理解できなくてしんどかったです。

 

 

 成長すればするほど、暗黙の了解はより複雑なものになり、私がいちいち「こういう時はこういう意味も含むのだな」と覚えていくようにしても、全く追いつかなくなりました。自動でわからなければ、手動の脳ではどうしようもないのです。

 

 

 

 暗黙の了解が共有できない孤独と不安は、恐怖につながっています。自分は宇宙人なんじゃないかと悩んでいた時期も長かったです。

 

 

 なんでも手動で理解しなきゃいけない脳は、面倒で効率が悪く、やたらエネルギーを消費し、いつでも疲れています。常に余裕のない状態です。

 

 今は無理に社会と関わらなくていい状況をさりさんが作ってくれているので、脳に余裕があって安心して生活しています。環境、大切。

 

 

 

母の話。

 発達障害の原因は、親の接し方・育て方にはありません。親が冷たくてあまり話しかけないからコミュニケーション能力が育たないというものではないし、寂しくて精神を病んで、とかいうものとも全く違うのです。

 けれども、発達障害の子供の態度が原因で親が子供に対して冷たくなったり虐待をしてしまったりというのは珍しいことではないらしいです。それは想像に難くない話だと思います。

 

 

 私の母親は、愛情深い人だと思います。誰にでも優しいし、子供が大好きだから学校の先生になったし、どこに行ってもすぐ友達が出来て長く付き合っています。

 そんな母は、一生懸命愛情を注いで私を育ててくれようとしました。でも、私はそれに応えられる子供ではありませんでした。母の求める反応をする子ではありませんでした。

 

 

笑いかけても、笑顔を返さない。抱っこされても顔をしかめて離れたがる

 

 私はかなり幼い頃(言葉をまだ話さない頃)の記憶も鮮明に残っています。

 

 私は聴覚過敏を持って生まれたためか、母の高くてでかい声、ハイテンションな様子が全て不快で嫌でした。母だけでなく、女性は赤ん坊や幼児を見るとものすごく高い声で不自然に見開いた目の笑顔を見せ、ハイテンションに話しかけてくるので、本当に嫌でした。

 笑顔になるどころではなく、顔を伏せたりそっぽを向いたり、嫌がって泣くこともありました。

 

 

 抱っこされると耳の近くで母が話すので、脳がぐちゃぐちゃになります。周りの色んな物や自分の手を見て色々と考えているのに、すごく邪魔でした。

 

 

いろんな経験をさせようと遊びに連れて行ってもらったり他の子供の輪に入れられたりして迷惑がる

 

 母が私を色々な変わった場所で遊ばせようとするのが苦痛でした。公園でも、私は気に入った物をジッとみたり触ったりして一つのことに集中していたいのに、母はすぐに「これに乗ってみたら?あれもやってみたら?」と勝手に私を持ち運んでブランコに乗せたり滑り台に上らせたりしました。

 

 母がどんなに色んなことをさせても私はすぐにアリの観察に戻ってしまうので、いつも彼女は怒っていました。

 

 

 

 とりわけ迷惑だったのは、無理矢理たくさんの子供の中に放り込まれてその中で遊ぶのを強要されることでした。

 

 子供たちは私にわからないルールの遊びをたくさんします。言葉をいいかげんに使います。(私は言葉を覚えてから、とても正確な言葉を使っていました。「てにをは」や「でも、だから」などの言葉に気をつけて、学習した言葉をきちんと。)

 

 ストレスでパニックになりました。子供たちの中にいるとわけのわからないことだらけで、しかも皆非常に素早くめまぐるしく動き、喋り、それによって私の脳は停止に追い込まれました。そんな電池切れの私を、他の子供たちは不気味がりました。

 

 

 母は私に失望していました。

 

 

 

ついに幼児の私に、母が「お母さんのこと嫌いなの?」と泣きながら訊いてくる

 

 私は母の高い声やハイテンションな様や色んなことを無理矢理させるところが嫌で不快には思っていましたが、私の唯一の母親だし、毎日私の身の回りの世話をしてくれているのもわかっているし、母のことが好きでした。

 

 でも母が私のことで悩んで辛い思いをしているのは知っていました。母はよく泣いていました。私が何かに集中している時にずっと話しかけていたらしく、返事をしない私に腹を立てて泣きながらタオルで叩かれたこともあります。

「なんで無視するのよ?!聞こえてるんでしょ?!」

 

 聴覚にも視覚にも知能にも問題がなかったのに、と母は苦しんでいました。残るは私の性格の問題だと思った母はそれを矯正しようと努力をしました。

 

 「お友達の輪に入れないのはニッコリ笑わないせいよ」と言われ笑顔の練習をさせられたり、「他の子は思い通りにならなくてもある程度我慢出来るから人づきあいが出来る。あんたは我慢が足りなくてワガママだからダメなのよ」と、説教をされました。

 

 

 

 母は私の性格を批難しながら、いつも泣いていました。自分のことも責めているようでした。その時、発達障害という言葉はまだ世間で話題になっていませんでした。

 

 

 

そんな中、父親はいつだってお気楽で、一人で悩み過ぎた母が壊れる

 

 父は私が興味を持つものや集中しやすいこと、変な答えにくい質問をすることをすごく面白がっていました。母が私の愚痴を言うと、父はいつも笑っていました。

「この子はほんまのアホか、天才か、みうらじゅんだな。」とよく言っていました。

その三択なら天才がいいです。

 

 

 母は父にもすごく怒っていて、「もうあなたには相談しない」とキレて家出をしました。どれくらいの期間家出をしていたのか覚えていませんが、しばらく母の姿を見なくなって置いて行かれた父と私の生活もだいぶ困って、もう母はいなくなったのだなと受け入れかけた頃に戻ってきました。

 

 

あまり泣かなくなった母は、とにかく私の性格が悪いと色んなところで言いふらすようになった

 

 自分のせいではない、この子が悪いのだと割り切ったのかもしれません。そして周りにそれをアピールして、責任が自分にないことをわかってもらおうと必死だったのだと思います。

 

 他人事のようで申し訳ないのですが、私は、母はずっと頑張ってくれたいい母親だと思います。

 

 幼少期だけではなくその後も、勉強の出来ない、人とうまく関われない私に口は悪くて乱暴なものの粘り強く接して矯正を試みていました。

 

 

 母はよく私に「早くご飯食べなさい。早く支度しなさい。早く・・早く・・・

もう、早く死ねばいいのに」と言っていました。

 

 心理的虐待に見えるかもしれません。そんなことを子供に言う母親だからこんな問題のある人間に育ったのだと思う人もいたかもしれません。

 でも、発達障害を持って生まれた子供の親は、何もわからずに育てていると本当に追い込まれるのだと思います。発達障害とわかっていても、苦しいことが多いのだろうと容易に推測できます。

 

 

 

 

 世の中の、(発達障害の子を持つ方だけでなく)育児をしているお父さんお母さんに、濃いめのカルピスを。ひとときの幸せ。