脳のCHAOSを考察する。

発達症併発(自閉スペクトラム・ADHD・LD)、共感覚を持つ私の見ているもの

入力出来ても出力出来ない。

 読書は大好きです。早くから自発的に学習して文字の読み方をマスターして、どんどん図鑑や本、新聞を読み、読むものがなければお菓子の箱の裏側の原材料を読んだりして、とにかく文字とは幼少期からずいぶん親しくしているつもりです。漢字が好きで、小学校に入る頃にはフリガナ無しのシャーロックホームズの冒険を読めるくらいになっていました。

 

読めるけど、自分で書いてみたらなんか違う

 鉛筆を持ち、紙に向かうと急に頭の中にある文字が鮮明でなくなって不確かな物になります。あの漢字の横線は何本だったかな?と迷いながら書いて自分で書いたそれを眺めると、線が二本でも三本でも、どっちも正解のような、どっちも違うような気がしてわからなくなります。偏と旁、どっちがどっちにあるものだったかわからなくなることもしょっちゅうです。

 

 

文字の反転が起きてても気づかない

 これも脳の調子のいい時悪い時で起きたり起きなかったりしますが、鏡文字を書いてしまうことが未だにあります。「せ」「セ」「世」「う」「ラ」「人」「入」「今」「方」「コ」「事」「書」などが反転しやすいです。

「また鏡文字になってるよ。」と教えてもらっても、「え、そう?これ間違い?」と戸惑い、「ほんとだ!ごめんごめん」とすぐ間違いに気付けない自分が恥ずかしいため「この字、これでも構わんくない??」と逆ギレのようなことを言いだします。

 

 ラブレターに「こんなに入を好きになったのは初めてです。」と書いてしまって笑われたことは記憶に新しく、恥の多い人生と言わざるを得ません。

 

 

文字を書く行為は嫌いではなく、黒板や教科書のお手本を見て書いたり写経をするのは好き

 書くべき文字のお手本があるとちゃんと書けます。読字障害の方は文字の見え方が歪んだりかすれたり重なったりと特殊で大変な思いをしていると聞くので、それよりはずいぶん楽だと思います。

 

 

 

頭の中の文字を手に伝えて書くという運動を自動化できないのが問題

毎日たくさんの文字を書かざるを得ない義務教育時代の最後のほうは、頭の中の何か別の回路を使って一時的に上手くいっていました。お手本を見る機会も多いし繰り返し書くという訓練によってもずいぶん自動化したように感じていました。間違える頻度が少なく、書くスピードもアップして、これは手がしっかり覚えたのだと安心していました。

 

 学校生活を終えると、多くの人と同じように携帯やPCを使って文字を打つようになったため、紙に字を書くことはほとんどなくなりました。そうすると、しっかり文字を書く動作が染みついているはずと信じていた私の手は、その記憶をリセットしてしまいました。

 私にとって字を書くことは、自転車や水泳のように「一度マスターしたらしばらくやらなくても体が覚えている」という類のものではなかったようです。

 

 頭が手に伝えることが一時的に上手くいっただけでは「文字をマスターした」ということにならないようだと思っています。

 

 

 

 「最近スマホとPCばっかりだから、いざ紙に書こうとしたら漢字が出てこないんだよねー」は誰もが思い当たると思います。そんなのしょっちゅうだよと思うかもしれません。私はそこまで高レベルには至っていません。

 前は書けたのにド忘れしたのとは違って、常用漢字ではなく画数も多く難しすぎて、読むことはできるし雰囲気はわかるけど曖昧な形でしか思い出せない、細部はわからない漢字が誰しもあると思います。私にはそれが、よく見る簡単な漢字(勿論何度も書いたことのある字)でいちいち起こります。

 

 今からもう一度義務教育の時くらい毎日毎日文字を書き続ければまた何かの拍子にマシになるのでしょうけど、完全に自動化し、漢字の横線が何本あるのか、反転していないかどうか、迷わずに済むようになるかというと・・・難しいだろうと思います。

 

 

「何かの拍子に一時的に別の回路を使って上手くいった」ことはまだぼんやりとしか考えられていないので、整理が出来た時にまた。

 

 

 

 

 子供の頃「文字をどこまで正確に模写すべきか」ということについて深刻に悩んだ話も、また次の機会に。

 

 

 ASDの「積み重ねによる学習がなかなか身につかない」による影響もまた考えていきたいと思います。