苦手な音。
聴覚過敏で、中学に入る前までは結構しんどい思いをしました。
高くて大きな音がダメなのと、繰り返される同じ音でパニックになっていました。
声が高くて大きいという理由で実の母が苦手
母も教師もとにかく高い声で大音量で話すし、私にも大きな声で話すよう求めるので、出来るだけ物理的に距離を置きたい存在でした。
自分で大きな声を出してもびっくりしてパニックになるので、静か極まりない子供でした。今でも自分の声が高いためか、思ったより大きな声を出してしまうと脳がパニックを起こします。
幼稚園の運動会のリハーサルで嘔吐
幼稚園に入って初めての運動会を控えて、その日はリハーサルということで本番と同じようにかけっこのスタートの合図が銃声でした。
一度目の「パンッ!」でびびりまくった私は体が固まって動かなくなり、耳をふさぐということも思いつかずノーガードでただ耐えました。自分の走る番が来るまでに何度もその音を聞いて、ついに耐えられなくなり走って逃げだし、驚いて何か叫びながら追いかけてきた先生に捕まった瞬間盛大に嘔吐しました。
保健室のような部屋で寝かされても園庭から聞こえる大音量の音楽や繰り返される笛の音で脳がごちゃごちゃになり、迎えに来た母に「運動会出ない。というかもう幼稚園行かない」と訴え、先生と母から「みんなの前で吐いたからって、恥ずかしいことじゃないから大丈夫よ。みんな心配してるんだから、からかったりしないわよ。」と的外れに慰められました。運動会当日は、おなかが痛いと言って幼稚園のトイレに隠れ続けました。
父に松山千春のコンサートに連れて行かれ、その声量と高音にびびって行方不明になる
家で毎日のように結構な音量の音楽が流れていたため、コンサートに行こうと言われて少しも警戒することなく素直について行きました。小学校低学年でした。
松山千春の歌はほとんど歌えるくらいたくさん聴かされていたため、本物を見られることにワクワクしていましたが、一曲目でびっくりして耳をふさぐという無礼を働き、何分か耐えたあと父の目を盗んでそぉっと会場を出ると一目散にどこかに向かって走りました。どうやって保護されたのかは覚えていません。
女子のはしゃぐ高い声に殺意を覚えて涙がでる
今でも苦手ですが、女性の声がたくさん乱れ飛んでいる場所では思考が少しも働かず、最初はおびえ、そのまま逃げられない状態が続くと殺意を覚え、でも暴力をふるってやめさせることは出来ないので涙がこぼれて止まらなくなります。
「急にどうしたの?何かつらいことがあったなら言ってみて?」とクラスの優しい女子に声をかけられ、「何もない、ありがとう」と言いながら心の中では「お前らうるさいんだよ、死ね死ね死ね死ね」と思っていたことは内緒です。
電子音で診察の順が来たことを知らせる病院でキレる
「ポーン」という高い音とともに電子掲示板に診察番号が表示される大きな病院で、何度も何度もその音が繰り返されているのを一回一回ビクっとしながら聞いていると、その時は大人になってだいぶ耐性が出来ていたはずなのに自分の番号が表示されたちょうどその時にキレて、立ち上がって走って診察室に入り先生に向かって怒鳴りました。「なんなんあの音?一時間以上前からずっとあの音聞いてんねんで?!なんとかならへんの?!あれ壊す!!壊す!!」
そこが精神病院だったので、色々と良かったです。
今でもザワザワしている中で聞き取るべきものを選んで聞くのは凄まじい集中力を要する
小さい音でもめちゃくちゃよく聞こえるけれど、音から情報を得ることが苦手です。
これは聴覚過敏とまた違う発達障害の症状のひとつらしいです。聴覚優位と視覚優位についてもまた書きます。
子供のころ、高い大きな声で話す人をそれだけで激しく嫌ったりして、申し訳なかったと思っています。
現在は、聴覚過敏というほどではなくなっています。十代中頃からはライブハウスに普通に出入り出来るようになり、平気な音が増えました。 めでたしめでたし。