脳のCHAOSを考察する。

発達症併発(自閉スペクトラム・ADHD・LD)、共感覚を持つ私の見ているもの

母の話。

 発達障害の原因は、親の接し方・育て方にはありません。親が冷たくてあまり話しかけないからコミュニケーション能力が育たないというものではないし、寂しくて精神を病んで、とかいうものとも全く違うのです。

 けれども、発達障害の子供の態度が原因で親が子供に対して冷たくなったり虐待をしてしまったりというのは珍しいことではないらしいです。それは想像に難くない話だと思います。

 

 

 私の母親は、愛情深い人だと思います。誰にでも優しいし、子供が大好きだから学校の先生になったし、どこに行ってもすぐ友達が出来て長く付き合っています。

 そんな母は、一生懸命愛情を注いで私を育ててくれようとしました。でも、私はそれに応えられる子供ではありませんでした。母の求める反応をする子ではありませんでした。

 

 

笑いかけても、笑顔を返さない。抱っこされても顔をしかめて離れたがる

 

 私はかなり幼い頃(言葉をまだ話さない頃)の記憶も鮮明に残っています。

 

 私は聴覚過敏を持って生まれたためか、母の高くてでかい声、ハイテンションな様子が全て不快で嫌でした。母だけでなく、女性は赤ん坊や幼児を見るとものすごく高い声で不自然に見開いた目の笑顔を見せ、ハイテンションに話しかけてくるので、本当に嫌でした。

 笑顔になるどころではなく、顔を伏せたりそっぽを向いたり、嫌がって泣くこともありました。

 

 

 抱っこされると耳の近くで母が話すので、脳がぐちゃぐちゃになります。周りの色んな物や自分の手を見て色々と考えているのに、すごく邪魔でした。

 

 

いろんな経験をさせようと遊びに連れて行ってもらったり他の子供の輪に入れられたりして迷惑がる

 

 母が私を色々な変わった場所で遊ばせようとするのが苦痛でした。公園でも、私は気に入った物をジッとみたり触ったりして一つのことに集中していたいのに、母はすぐに「これに乗ってみたら?あれもやってみたら?」と勝手に私を持ち運んでブランコに乗せたり滑り台に上らせたりしました。

 

 母がどんなに色んなことをさせても私はすぐにアリの観察に戻ってしまうので、いつも彼女は怒っていました。

 

 

 

 とりわけ迷惑だったのは、無理矢理たくさんの子供の中に放り込まれてその中で遊ぶのを強要されることでした。

 

 子供たちは私にわからないルールの遊びをたくさんします。言葉をいいかげんに使います。(私は言葉を覚えてから、とても正確な言葉を使っていました。「てにをは」や「でも、だから」などの言葉に気をつけて、学習した言葉をきちんと。)

 

 ストレスでパニックになりました。子供たちの中にいるとわけのわからないことだらけで、しかも皆非常に素早くめまぐるしく動き、喋り、それによって私の脳は停止に追い込まれました。そんな電池切れの私を、他の子供たちは不気味がりました。

 

 

 母は私に失望していました。

 

 

 

ついに幼児の私に、母が「お母さんのこと嫌いなの?」と泣きながら訊いてくる

 

 私は母の高い声やハイテンションな様や色んなことを無理矢理させるところが嫌で不快には思っていましたが、私の唯一の母親だし、毎日私の身の回りの世話をしてくれているのもわかっているし、母のことが好きでした。

 

 でも母が私のことで悩んで辛い思いをしているのは知っていました。母はよく泣いていました。私が何かに集中している時にずっと話しかけていたらしく、返事をしない私に腹を立てて泣きながらタオルで叩かれたこともあります。

「なんで無視するのよ?!聞こえてるんでしょ?!」

 

 聴覚にも視覚にも知能にも問題がなかったのに、と母は苦しんでいました。残るは私の性格の問題だと思った母はそれを矯正しようと努力をしました。

 

 「お友達の輪に入れないのはニッコリ笑わないせいよ」と言われ笑顔の練習をさせられたり、「他の子は思い通りにならなくてもある程度我慢出来るから人づきあいが出来る。あんたは我慢が足りなくてワガママだからダメなのよ」と、説教をされました。

 

 

 

 母は私の性格を批難しながら、いつも泣いていました。自分のことも責めているようでした。その時、発達障害という言葉はまだ世間で話題になっていませんでした。

 

 

 

そんな中、父親はいつだってお気楽で、一人で悩み過ぎた母が壊れる

 

 父は私が興味を持つものや集中しやすいこと、変な答えにくい質問をすることをすごく面白がっていました。母が私の愚痴を言うと、父はいつも笑っていました。

「この子はほんまのアホか、天才か、みうらじゅんだな。」とよく言っていました。

その三択なら天才がいいです。

 

 

 母は父にもすごく怒っていて、「もうあなたには相談しない」とキレて家出をしました。どれくらいの期間家出をしていたのか覚えていませんが、しばらく母の姿を見なくなって置いて行かれた父と私の生活もだいぶ困って、もう母はいなくなったのだなと受け入れかけた頃に戻ってきました。

 

 

あまり泣かなくなった母は、とにかく私の性格が悪いと色んなところで言いふらすようになった

 

 自分のせいではない、この子が悪いのだと割り切ったのかもしれません。そして周りにそれをアピールして、責任が自分にないことをわかってもらおうと必死だったのだと思います。

 

 他人事のようで申し訳ないのですが、私は、母はずっと頑張ってくれたいい母親だと思います。

 

 幼少期だけではなくその後も、勉強の出来ない、人とうまく関われない私に口は悪くて乱暴なものの粘り強く接して矯正を試みていました。

 

 

 母はよく私に「早くご飯食べなさい。早く支度しなさい。早く・・早く・・・

もう、早く死ねばいいのに」と言っていました。

 

 心理的虐待に見えるかもしれません。そんなことを子供に言う母親だからこんな問題のある人間に育ったのだと思う人もいたかもしれません。

 でも、発達障害を持って生まれた子供の親は、何もわからずに育てていると本当に追い込まれるのだと思います。発達障害とわかっていても、苦しいことが多いのだろうと容易に推測できます。

 

 

 

 

 世の中の、(発達障害の子を持つ方だけでなく)育児をしているお父さんお母さんに、濃いめのカルピスを。ひとときの幸せ。