脳のCHAOSを考察する。

発達症併発(自閉スペクトラム・ADHD・LD)、共感覚を持つ私の見ているもの

「自由」に隠された言葉は何文字?

 

 皆と同じ場所で同じ人からの説明を聞いても、得る情報量が全く違うことに気が付いたのは小学校に入る前でした。幼稚園のときにはすでに、何故か皆私が先生から聞いた話以上の情報を共有していておかしいと思っていました。

 

 現在のように、声に出さなくてもLINEやらメールで私以外の人達がこっそり情報をやり取り出来るのならまだしも、そういうツールがないのにどうやって認識を共有しているのかが不思議でたまらなくて、不安でした。

 

 

 

 小学校の図工の時間に、「運動会」をテーマに絵を描くように言われました。先生の説明は、「先日の運動会で印象に残ったことを絵にしてみましょう。」の一言だけです。

 皆、何か競技をしているところを描きました。一人の男の子がお弁当を食べているところを描いて、「食いしん坊」と笑われるというベタなことが起きました。

 私は、画面いっぱいに自分の靴のつま先を描きました。かけっこの順番をドキドキしながら待っていてずっと俯いて見ていた光景でした。

 

 私は、描き直すように言われました。「運動会の絵って言ったでしょ」と言われました。私は「かけっこの順番待ちのとき、、、」と説明しようとしましたが、オドオドしてうまく言えなかったかもしれません。

 

 なぜみんなが、揃いも揃って玉入れや綱引き、かけっこ(走っている瞬間)の絵を描けたのか、なぜそれを先生が求めているのだとわかったのかが不思議でした。(それと、競技ではなくお弁当の時の絵を描いた子は良くて私がダメな理由は???)

 

 

 

 私は一生懸命先生の話を聞いているつもりだけれど、どこかで聞くのをサボってしまっているのだと思い、反省をしました。

 

 でもやっぱり、どんなに聞き逃さないように聞いてもみんなの共有している情報を私だけ受け取っていませんでした。

 

 

 持ち物や行事予定の書いたプリントでも、私が紙面から読み取る以上のことをみんな「常識」として共有していました。

 

 「暗黙の了解」です。

 言葉には、実際に見えたり聞こえたりするもの以上に奥行きがあり、たくさんの意味を持っています。当たり前のことなのでしょうが、それに気が付くのにずいぶん時間がかかりました。

 

 

 

 「運動会の練習日は、お茶をいつもより多めに用意しましょう」は、

 「運動会の練習日(運動会が終わるまでの体育がある日、全て)は、(水筒に入れた)お茶をいつもより多めに(何リットルかは指示しないけれど自分が飲むだろうと思う分だけ)用意しましょう(そうお家で親に頼んでね)。 (用意するだけではなく、学校に持ってくるのですよ。)」

という意味だと誰もがわかるので、誰も何も質問しないのですね。

 

 ↑は極端な例かもしれませんが、このようなことが理解できなくてしんどかったです。

 

 

 成長すればするほど、暗黙の了解はより複雑なものになり、私がいちいち「こういう時はこういう意味も含むのだな」と覚えていくようにしても、全く追いつかなくなりました。自動でわからなければ、手動の脳ではどうしようもないのです。

 

 

 

 暗黙の了解が共有できない孤独と不安は、恐怖につながっています。自分は宇宙人なんじゃないかと悩んでいた時期も長かったです。

 

 

 なんでも手動で理解しなきゃいけない脳は、面倒で効率が悪く、やたらエネルギーを消費し、いつでも疲れています。常に余裕のない状態です。

 

 今は無理に社会と関わらなくていい状況をさりさんが作ってくれているので、脳に余裕があって安心して生活しています。環境、大切。