脳のCHAOSを考察する。

発達症併発(自閉スペクトラム・ADHD・LD)、共感覚を持つ私の見ているもの

自分も普通の人間だと見せかけたい透明人間。

 自分は何色かと訊かれたら、自閉症スペクトラム障害の人々は「透明」「半透明」と答える割合が多いらしいです。

 私もそうです。自分の色はなくて、その時に必要な色になって、本当の自分自身が何者なのかわかりません。

 

共感できないのに共感しているフリをして嘘ばかりの毎日

 

 女子の会話というのは、共感がとても大切で、共感だけで出来ていると言っても過言ではないと思います。それは、言葉を話し出してすぐ、幼児の時からすでに始まっている女性の特徴なのだと思います。

 

 「今日の給食のグリーンピース、いっぱい入ってて最悪だった!」

「あー、グリンピース苦手なんだぁ。給食で嫌いな物出たとき超やだよね。」

「つらいよねー。私ピーマン嫌いだからしょっちゅうだよ!何にでも入ってる!」

 

 他愛のない会話に入るのがとても苦手な私は大抵黙って聞いていましたが、ある日、うなづいて聞くと共感を示していることになるとわかり、そうすることにしていました。

 それでも足りなかったようで共感意見を求められ困った私は、嘘をつくことにしました。

「私もニンジンが嫌いだからわかるよ。」

 私は家であまり調理したてのご飯を食べることがなかったため、給食は何が出ても感動的に美味しく喜んで食べていたのですが、何か嫌いな食べ物を作らないと仲間に入ることが出来ないのだと思い、急遽、そういうことにしました。

 

 

 

自分も恋をしていることにしないといけないと思い、なんとなくそのへんの人を好きなことにしておく→告白を勧められ、おぜん立てをされ、面倒なことに

 

 小学校でも中学校でも、これが多くあったために私はいつのまにかフラれたり両想いになったり、知らないところで色々あったようです。傷ついたふりをしたり喜んだフリをしたり、というところまで出来るほどは器用でなかったので、周りがゴチャゴチャ言ってきてもポカンとしていました。

 

 

 

究極の共感、方言を研究し習得する

 

 私は関西人の両親を持ち生まれも育ちも関西人ですが、中学に入るまで標準語を話していました。これもASDの人にありがちらしいのですが、なぜか一番身近な両親から言葉を学んでいないようなのです。

 本を読んだり新聞を読んだりして語彙を学び、イントネーションなどはテレビから学んだのだと思います。

 私のリラックスして自然に話す時の言葉はとても堅く、文語のような感じです。英語の教科書の和訳のようだとも言われます。

 

 そんな話し方で皆の輪に入り、女子の自然な会話に共感を示して仲良さそうにするのは無理だと気が付いた私は、小学校中学年頃から水面下で関西弁を研究し始めました。

 

 不幸なことに、中学の時に同じ関西内とはいえ別の県に引っ越すことになったのですが、基本のイントネーションはあまり変わりがなかったので応用することが出来ました。

 私は熱心に研究しだすとすごく精密に細かいところまでやるので、自然な関西弁を話す人になることが出来ました(ネイティブに言わせると自然より少々きつめらしいですが)。

 

 

 習得してもなぜか本当には自分の物にならないのが困ったところで、今でも意識して関西弁スイッチに手動で切り替えないといけません。私の本当の自然な、堅い喋り方は今でも健在です。

 

 

 

何をやっても手動で、意識して身に着けたり、偽の「共感している証拠」を作り出したりしてきたため、もともとの本当の自分が存在しないように感じる

 自動的に身に着ける処世術とは違うのです。自動的に出来るようになるうわべだけの共感とは違うのです。人前で役割を演じるのはみんな一緒だと思いますが、それを全て手動で切り替えるので「嘘をついている」という感覚がすごく強いです。

 そして、脳が疲れます。一挙手一投足、一言一言いちいち作り物なので、脳は常にフル回転です。毎日疲労困憊です。

 

 

 

今、嘘をつかずに自然に生活できる環境になって、自分は透明でもいいやと思えるようになり、憑き物が落ちたように楽になった

 

 何かハッキリした色に見せなくてもいい、と思える今はとても楽です。このままの状態で社会に出ると不適合者ですが。

 みさは生まれたばっかりみたい、とさりさんに言われます。これが、透明な自分の正体なのだと思います。たくさん身に着けてきたようで、それらはあまりに自分に合わない服で無理矢理着ていたため、少しも自分の物にならなかったのです。

 

 

 

 

 言葉の習得や、文語のような話し方についてはまた詳しく書きたいと思います。