よく考えると共有しているほうが凄すぎるのでは。
「なんとなくでいいよ」「そのへん、テキトーに」が苦手です。
本当にあなたのさじ加減に全て任せる、という意味ではないのがわかってきた幼少期から、恐怖さえ感じている言葉です。
基準があるんでしょう、基準が。何かその、定型発達の人ならわかって当然の、「ここからここまでの間で」という許容幅が。私はもう知っているのだから。
私がその許容範囲のサイズ感をわかっていなくて、「なんとなくでいいよ」と言った人の想定を超えることをしてしまうと、戸惑いの笑顔だったり「は?何やってんの?」という言葉だったり冷たい沈黙だったりを返されてしまいます。
だからと言って、「なんとなくじゃなく、もっと具体的に教えて」と恥をしのんで言っても、教えてもらえたことがありません。
自閉症スペクトラム障害の人は、曖昧が苦手だそうです。私もまさにそうです。
でも、自分の中では曖昧なものも持っています。「こんな感じ」としか言いようのない感情も身体症状ももちろんあります。目分量で料理を作ります。
ただ、人と「こんな感じ」と言った時の差が大きくて共有出来ないのだと思っています。
それは、普段同じ場所に立って同じ体験をしても違うものを見て違う感じ方をしているから生じる差なのだと思います。
その、見るもの、感じ方について、これから細かく考察していくつもりです。