脳のCHAOSを考察する。

発達症併発(自閉スペクトラム・ADHD・LD)、共感覚を持つ私の見ているもの

報酬と罰。

 私の両親が私を育てにくかった理由のひとつに、「ご褒美に釣られない」ということがあったようです。

 

 私はお菓子をもらえるからとか、たくさん褒めてもらえるから、という理由では何かをすることが出来ませんでした。姉が毎日何かお手伝いをしてシールをもらったりして喜んでいるのがよくわかりませんでした。ラジオ体操のスタンプを押してもらって充実感を味わうなんてことも意味不明でした。

 

 私はいつも「不快の回避」「それをしていると脳がいい感じ」のどちらかの理由で動いていました。

 

 ご褒美だけではなく、「結果が出ることによる満足感」は子供の頃は全くなく、今もある程度あるものの人より希薄かもしれません。

 

 

 ものを作るのが好きで、しょっちゅうその場にあるものでしょうもないものを作っていました(それをしていると脳がいい感じという動機)が、作る過程が好きなだけなので出来た作品そのものに一切興味がなく、何時間も何日もかけて作ったものでも捨てられることに抵抗がありませんでした。

 

 小学4年生の時にいつも私が作ったものや描いたものに落書きしたり踏んづけたりして私をイジメた気になっている女の子たちがいたのですが、申し訳ないことに、何も感じていませんでした。

 

 細かいピースをつなげて壮大な一枚の絵に仕上げる、というパズルの楽しさはよくわかりません。だんだん絵が仕上がって来るのは素敵だそうですが、私はピースとピースをはめ込む感触が好きなだけなので、無地のパズルで充分です。(どう仕上がるかという結果に無頓着)

 

 だから、達成感だとかこれをすればこういう結果が出るだとか、やれば最後にお菓子をもらえるだとかいうことではやる気が出せませんでした。

 

 

 こういう私に、今日はテキパキと動いて時間厳守するように、とか、ちゃんと皆と同じように行動するように、など、どうしても言うことを聞かせたい場合、親は恐怖心を持たせるしか方法がないと考えたのだと思います。

 報酬で動かないのなら、罰を与えると脅すしかない、と考えるのは当たり前かもしれません。

 しかし、どんな罰を与えられるより不快で出来ないことが多くあったし、親の指示の意図が読み取れなくて「何故」それを「どのように」したらいいのかわからなくて出来ないこともあったので、結局は「恐怖による躾も出来ない」と親を途方に暮れさせました。

 

 感覚過敏によってどうしても我慢できない不快なこと以外は、子供だから理論は通じないと思わずに、全部論理的に意義などを説明してくれたら納得してしっかり言うことをきいたのだけれど、と思います。

 そう考えると、罰を与える手間もリスクも、褒美を与える金銭的負担もなくて、非常に躾けやすい子供になり得たのではないかと思うのですが、子供の時にそんなことを自分で要求出来る能力は持っていなかったのでしょうがないです。

 

 

 

 

 余談。与えられた罰のせいでお腹が空き過ぎて、普段何にも釣られない私が「お菓子をあげるからついておいで」と知らないおじさんに言われてついて行ってしまい、怖い思いをしたのは皮肉な話です。